「余白」をめぐる編集部の議論

要点
- 「余白」という言葉が曖昧に使われがちな点について、編集部で議論した。
- 余白は「何もない空間」ではなく、「意図して埋めなかった空間」だという整理で意見が一致した。
- ただし、ただ要素を減らすだけの設計は、余白ではなく単なる不足に陥ることがある。
- デジタルの余白とは、情報量の少なさではなく、視線と操作の休む場所を設けることだ。
「余白が大事だ」とは、よく聞く言葉だ。だが、その余白とは具体的に何を指すのか。要素を減らせば余白なのか。編集部では、この曖昧な言葉を一度ほぐしてみることにした。話し手は二人、設計の現場に近い立場と、文章を扱う立場である。
余白とは何か
A: 余白を「何もない空間」と定義すると、話がすぐに行き詰まる。何もないことを目的にすると、ただ要素を抜いただけの、寂しい画面ができあがる。余白は、本当は「意図して埋めなかった空間」のことだと思う。
B: その区別は大きいね。埋めなかった、という意図が入る。文章でも同じで、行間や段落の切れ目は、書かなかった部分だけど、何も考えていないわけじゃない。読み手が息を継ぐ場所として、意図して空けている。
不足との違い
A: 危ういのは、余白と不足を取り違えることだ。必要な情報まで削ってしまえば、それは余白ではなく欠落になる。利用者が次に何をすればいいか分からない画面は、余白が効いているのではなく、ただ足りていない。
B: 文章でも、説明を省きすぎると不親切になる。余白が成立するのは、必要なものが十分にあって、そのうえで意図して空けた部分があるときだけだ。土台がないところに余白は生まれない。
デジタルの余白
A: デジタルの余白を、情報量の少なさと考えるのはたぶん間違いだ。むしろ、視線と操作が休める場所があるかどうか。スクロールしても次々と要素が現れ続ける画面には、休む場所がない。それは情報が多いというより、余白の設計がないということだと思う。
議論は、余白を「引き算の結果」ではなく「意図の表れ」として捉え直すところに着地した。ホーム画面を空にする試みも、終わらないスクロールへの違和感も、根は同じだ。問われているのは要素の数ではなく、休む場所をどこに設けるかという意図のほうだった。
出典
- 原研哉『白』(余白と空白に関する論考)
- エドワード・タフテ『The Visual Display of Quantitative Information』(情報設計における余白の役割)